「たまたま、最後まで残っただけなんです」──氷彫刻を独学した工場長代理が見ている景色
ある夏の日、赤羽公園のイベント会場に、一頭の氷の熊が現れた。二日がかりで彫り上げたのは、この会社の製造現場で働く渡邊さんである。そしてその熊も、日が暮れる頃にはゆっくりと溶けて、消えていった。
小野田商店の工場長代理・渡邊和幸さんは、前職の砂糖工場からコロナ禍の直前に転職してきた。いまは製造計画を組み、製造部長と二人で生産全体を回している。氷彫刻は、その仕事のひとつだ。社内の講習会で覚えた技術を、誰に命じられたわけでもなく、独学で半年かけて自分のものにした。
せっかく覚えたのに、そのまま無くしてしまうのはもったいないなと思ったんです
一度火がつくと、渡邊さんは止まらなかった。休憩時間を自分で潰し、毎日一回は必ず彫る。それを半年間続けた。誰に命じられたわけでも、給料が上がると約束されたわけでもない。ただ、覚えた技術を手放したくない。放っておけない。その性分こそが、渡邊さんという職人の原点だ。

任される仕事が、どんどん増えていく
包装機の扱いや発注のやり方が前職と似ていて、これまでの知識が活かせそうだと感じたことが、入社の決め手のひとつだったという。土日にしっかり休めることも、家族を持つ身には大きかった。
それから数年。任される仕事は驚くほど増えていった。製造計画を組み立て、氷彫刻を手がけ、コロナ禍のさなかには機械系の国家資格まで取得。いまでは製造部長の佐々木さんと二人三脚で、日々の生産全体を回している。
普段は淡々としている渡邊さんだが、氷の“質”の話になると表情が変わる。夏の氷は、作っている最中からもう溶けはじめる。だから、早く楽に片づける方法があっても、あえて手間のかかるやり方を選ぶ。ほんのひと手間で、夏の氷はまるで別物になるのだと言い切る。
小野田商店の氷は、最後の選別まで人の手が入る。角がそろっているか、欠けや粉が出ていないか、一つずつ目で見て分けていく。裏を返せば、人によって出来が変わるということだ。誰がやっても同じになる方が経営としては楽なはずだが、渡邊さんはそこにこそ面白さがあると言う。
自分のひと手間で出来が変わるなら、それはもう“作業”じゃないんですよ
負けず嫌いなんでしょうね、とはにかみながら、こうも言う。教えたって簡単にできるものじゃない、今のメンバーでいちばんいい氷を作れるのは自分だ、と。そして言い切った直後、少し照れたように付け足した。「まあ、ただの自己満ですけどね」
二日かけた熊も、一日と経たずに溶けていく。どれだけ手をかけても、形は残らない。それでも誰よりうまく彫ろうとする。消えると分かっていて全力を注ぐその姿は、氷という潔い素材によく似合っていた。
「やってみな」と言ってくれる場所
数ある氷メーカーの中で、渡邊さんが小野田商店に居続ける理由。それは、思いついたことを実際に試させてもらえることだ。
こうした方がいいと思って持っていくと、たいてい『やってみな』って返ってくるんです
見当違いなら止められる。でも筋が通っていれば任され、結果を出せば認めてもらえる。あの氷彫刻も、そうやって彼の仕事になっていった。
今、頭の中には、もう次の構想がある。氷彫刻とよく一緒に飾られる、フルーツカービング。彫った果物を氷に閉じ込めたら面白いのではないか。工場長代理の仕事との両立は容易ではないが、いつか形にしたいと語る口ぶりは、前のめりそのものだった。
誰にでもできる仕事ではない。だからこそ渡邊さんは、誰にも負けたくない。その情熱を「ただの自己満」と笑う職人に、「やってみろよ」と背中を押す。小野田商店は、そんな会社だ。







