代表取締役社長/小野田 渉

「迷う暇なんてなかった」若き代表が描く、社員への想いと氷の未来

100年続く家業を継ぐ。それは外から見れば輝かしいレールに見えるかもしれない。しかし小野田社長が家業に入るまでの道のりは、決して平坦でも予定調和でもなかった。


突然のメール。「迷う暇なんてなかった」入社劇

小野田社長が小野田商店に入社したのは13年前の2013年。当時24歳だった彼は、家業とは全く無縁の世界、池袋のテーマパークで契約社員として働いていた。演劇のようなショーに出演し、MCとして場を盛り上げる。人を楽しませるエンターテインメントの最前線だった。

『どう見せれば、人が喜んでくれるか』。この時培ったエンタメの視点が、のちに老舗氷屋に新しい風を吹き込むことになる。

クリスマスの繁忙期。息をつく暇もない休憩室で、携帯電話が震えた。送信元は、当時55歳だった父——当時の社長だった。大腸がんのレベル4が見つかった。お前が30歳になったら会社に誘おうと思っていたが、今来てくれないか。会社には30億円の借金があるが、と。

父は、僕が高校生や大学生の頃は、会社を継げなんて一言も言わなかったんです。それが余命1年と言われる状況になり、すべてを前倒しにして、借金のことまで包み隠さず伝えてくれた。親父なりの、ものすごい覚悟だったんだと思います

突然突きつけられた家業の危機と、父の命のタイムリミット。普通の24歳なら尻込みして当然の状況だ。しかし決断は早かった。「迷う時間なんて、そもそもなかったんです」。2月にテーマパークの仕事を辞め、4月1日には小野田商店に入社した。

会社の真上で育った少年時代。色濃く残る「家族」の記憶

異業種への飛び込みとはいえ、小野田商店は見知らぬ世界ではなかった。2021年に移転する前、会社は北区の西ヶ原にあり、曾祖父が建てたビルの2階が会社、3階と4階が自宅だった。2歳の頃からそこに住み、働く社員の顔も子どもの頃から全部知っていた。

「正直、子どもの頃は『なんか暗い会社だな』なんて思っていた時期もありました。泥臭い下町の町工場のような雰囲気は、入社前から痛いほど分かっていたんです」

しかしそこにあったのは暗さだけではない。毎年、北区の施設を借りてグループ会社の人間が60〜70人集まる新年会。普段は作業着のおじさんたちが、その日だけはスーツを着て集まる。自宅の庭には稲荷が祀られ、2月の初午には社員や関係者が集まり、祝詞をあげて酒を酌み交わした。

そういう『家族のデカい版』みたいな空気感は、すごく好きでしたね

現在も勤続25年を超えるベテラン社員が数多く在籍している。100年の歴史の中で培われてきた、血の通った人間関係が今も脈々と息づいている。

壮絶な夏の記憶。「約束を守る」関係こそが最大の誠意

入社2ヶ月前の2013年2月に会社が合併し、しかも父は入院中。夏に向けて一番忙しくなる時期に社長が不在という状況で、小野田青年は墨田工場に配属された。そこで目の当たりにしたのは、常軌を逸した過酷な労働環境だった。

「13年の夏は本当にひどかった。現場には60連勤している人だらけだったんです。残業代の概念も曖昧で、土日も関係なく働き続ける」。当時係長を務めていた佐々木氏——現在の製造部長——は精励賞を受賞するほど働きながら、こんな状態じゃ工場長には絶対になりたくない、と漏らしていたという。

「だから『将来、こんな風にはならない会社にしよう』と誓い合って、一緒にやってきたのが今の僕と佐々木なんです」

うちは給料を正しく払うし、嘘はつかない。誠実に労働環境を整える。お互いがその約束を果たし合う関係性こそが、一番の誠意だと思っています

残業代が出ない、休みが取れない。かつての悪習を断ち切るため、変形労働時間制を導入し、しっかりと休める環境を整備してきた。約束を必ず守る会社でありたい。その決意が、小野田商店の今の土台を作っている。

透明な氷に込めた誇りと、新たな挑戦「氷華」

「氷屋には、自分で氷を作るメーカーと、仕入れて切って売る卸があります。うちはメーカーですが、昔はどこか下請けのような意識がありました。でも、うちの氷の質には絶対の自信があるんです」

核となるのがRO(逆浸透膜)ろ過という技術だ。東京都の水道水をROろ過設備に通し、不純物を極限まで取り除いた純水を作る。さらにその純水を、マイナス10度前後のプールで48時間以上かけてゆっくり凍らせていく。

水は不純物が混ざっている方が早く凍る。ゆっくり凍らせる過程で、わずかな空気や不純物は最後に中心部分へ集まって白く濁る。その部分をエアレーションで弾き飛ばし、吸い上げて捨て、また綺麗な純水を注いで凍らせる。全体がどこまでも透明で、硬くて溶けにくい氷が出来上がる。

ここまでの手間暇をかけているメーカーは、全国を探してもそう多くない。しかし、ただの四角い氷の塊として卸しているだけでは、その価値は伝わらない。「それを世の中に、そして何より現場で汗を流す社員たち自身に分かってほしかったんです」。自社の氷に「小野田の超純氷」というブランド名をつけ、専用のロゴも作成した。

2020年の社長就任直後、コロナ禍という未曾有の危機が新たな挑戦を生む。銀座や新宿の飲食店がメインの卸先だったため、外飲みが禁止された時は終わりだと思った。その時に力を入れ始めたのが、透明な氷の中に花や造花を閉じ込めた観賞用の氷「氷華」だ。

元々は職人が感覚で作っていたものを、機械を導入して若手でも作れるように体系化。今ではメディアにも取り上げられ、アパレルブランドの展示会やエンタメ業界からも注文が入る人気商品になった。テーマパークで人を喜ばせる空間を作っていた感性が、氷という素材を通して開花した瞬間だった。

次の100年へ

「氷って色や形を変えて差別化するのが難しいからこそ、どうすれば『小野田商店の氷』として指名買いしてもらえるかを常に考えています」

氷でしっかりと利益を出し、その価値をさらにブランディングしていきたい

102年の歴史は、ただ古いというだけの過去の遺物ではない。先人たちが積み上げてきた信用と技術の結晶だ。その重みを受け止めながら、過酷な現場を身をもって知る若き経営者は、軽やかに、そして力強く未来を見据えている。

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