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6月1日は「氷の朔日(ついたち)」


氷の朔日(ついたち)に因まれた和菓子と、小野田の超純氷®四角い氷

毎年6月1日は「氷の日」です。1985年(昭和60年) 3月28日に、当時の日本冷凍事業協会における副会長であった小野田商店2代目の社長、小野田正美氏の発案により制定されました。

氷についての記念日を制定したいと考えているときに、宝くじのチラシに書かれていた「氷の朔日」に関する記載を見て発案したそうです。

この日は他にも、国際こどもの日(International Children’s Day、日本は5月5日ですが)、気象記念日、写真の日、アユ漁の解禁日…などとされていますが、残念ながらあまり「氷の日」の知名度は高くないかもしれません。

この由来となった「氷の朔日(ついたち)」もしくは「氷室の節句」、「むけの朔日」とも呼ばれる行事なのですが、皆様聞いたことはございますでしょうか?

この日には歯固めと称して氷や煎餅、正月から残しておいた鏡餅の欠片を煎ったアラレ(半年も密閉されていない餅を食べて良いのでしょうか…?)を食べ、歯を丈夫にするという習慣がありました。これは昔、宮中にて氷室に保存してあった氷を群臣に賜(たまわ)る儀式が、この日に行われていたことに由来するといわれています。

江戸時代には幕府が加賀藩に、通常の飛脚であれば12日かかる道程を、早飛脚を使って僅か4日で氷室から江戸城まで献上させていたそうです。

この行事は、正月から半年無事に過ごせたことを祝い、古くは貴族などの階級にあった者が、冬の間に氷室へ保存しておいた氷を出して食べ、また、それが手に入りにくかった庶民は代用品として氷の食感に似た餅の加工品を代用品として食べて歯や体を鍛えるというニュアンスのものでした。

また、「むけの朔日」とも呼ばれる背景には、 一年の半分が過ぎたこの日に蚕や蛇や蟹などあらゆる生き物が脱皮し、また人間も一皮むける日であり、この日に冷たい氷を食べたり、硬いものを食べたりすることで、身体を鍛え夏の暑さを無事に乗り越えられると信じられていたそうです。

様々な氷の代用食


「氷の朔日」がルーツとなった京菓子「水無月」と「琥珀羹」

宮中ということで、もともとは京都で始まった習慣だと思われますが、そのためか今でも京都には「氷室(ひむろ)」にちなんだ和菓子が存在し、当時高貴な身分の者しか手に入れることのできなかった氷の代用品として食されたものと思われます。

今でこそ氷は一般家庭でも簡単に作ることのできる、実にありふれたもので、ぜいたく品とは程遠いイメージにありますが 、よく考えれば長い人類史において冷蔵、冷凍技術がもたらされたのは本当に近代に入ってからのことです。

それまで、氷とは冬に自然にできたものを、地下水の気化熱などを利用した保存庫に入れておいて夏に医療用や食用として用いていたため、次の冬に氷ができるまでに計画的な利用が求められる高級品で、庶民の手に簡単に渡ることのなかったものでした。

ゆえに、宮中や上級武士などが「氷の朔日」に氷室から蔵出しされた氷を楽しむことができたことに憧れ、庶民は氷に食感が似たものをこの日に求め、故にこの日にあられや煎餅が食べられる習慣ができましたが、やはり清涼感や涼しさのイメージとせんべいなどはどうしても遠いもの。

そのため、前述のような「氷室」にちなんだ和菓子たちが生まれることになりました。

そのうちの一つが「水無月」という菓子であり、三角に切った白いういろうに小豆餡をかけたもので、その形状は氷をかたどったもので、現在では京都にて夏越の祓が行われる6月30日に、1年の残り半分の無病息災を祈念してこれを食べるそうで、現在のような形態になったのは意外と最近で昭和に入ってからのようです。

他にも京氷室という 、きめ細かい砂糖がまぶされた氷のような琥珀羹(寒天に砂糖と、クチナシなどの着色料を用いた鮮やかな和菓子)も氷の朔日にちなんで作られており、その名も 「氷室」という琥珀羹が、夏限定で三英堂さんという和菓子店から発売されており、その宝石のような美しい見た目からSNS映えすると現在でも大変な人気があるそうです。

現在では、これらの手の込んだ和菓子の方が氷よりもずっと高級品になったといえるでしょう。時代とは本当に変わっていくものですね。

日本人の氷利用は古代から?


福住町井之市の古墳群の中に再現された氷室

この「氷の朔日」がいつから始まった行事なのかは不明ですが、日本の氷室による氷利用自体は実に古くから始まっており、なんとその起源は古墳時代にさかのぼります。

かなり古代からこのような氷室が存在したのは間違いないですが、記録として登場する古いものが「日本書記」による記載です。

日本書紀の仁徳天皇62年に、以下のような記載があり、仁徳天皇の異母弟である額田大中彦皇子(ぬかたのおおなかつひこのみこ)が、現在の奈良県天理市福住町へ狩りに赴いたとき、その地域の豪族が所有していた氷室を目撃し、皇子はその豪族に氷室のことを尋ねたところ、氷が宮中に献上されることになり、天皇は大いに喜ばれたとのことです。それ以降、朝廷には氷室を管理する要職が設けられ、「宮内省主水司」という職が明治まで宮内の氷を管理しました。

少し怖い話も…


岩手に伝わる「むけの朔」の怪

また岩手県では、この6月1日に桑の木の下に行くと、自分の脱け殻が見えることがあり、それを見た人はその年に死ぬというなかなか気味の悪い言い伝えもあるそうです。

いわゆるドッペルゲンガーの亜種のような伝承に思えます、同じ日本に伝わる怪異でいえば、三重県に伝わるトモカツギ(海女たちの間で恐れられた海の妖怪、潜水中に自分そっくりの姿をして現れ命を奪うとされる)と呼ばれる妖怪に近いのではないでしょうか?

また、「この日に桑の木の下で蛇が脱皮するので、桑畑には近づかないように。」というバリエーションの伝承もあります。(ヤマカガシなど日本にも猛毒を持つ蛇がいます)おそらく桑の木というのは、桑を好む蚕が脱皮するイメージに、蛇が重ねられたのかもしれません。

いずれにせよ、少し怖い印象を受ける話ですね…。